携帯が止まっていた。

ブログの更新がない期間に送られたメールは受信できてないです。
引きこもってルーディメント三昧の毎日を送っていました。
ルーディメントに疲れると本を読むのですが、現在の自分の状況に相応しく、レ・ミゼラブルを読む事にしました。
僕はそもそもMISERABILISMEに興味がなく、悲惨よりは華麗な小説の方が好きなのですが、極貧生活を送る自分とジャンヴァルジャンはじめ、差別と貧困に苦しむキャラクターを重ね合わせる事で一気に読破しました。
そして分かった事があります。

人々の悪意と無神経は日々僅かずつ積み重なり、社会がその蓄積を処理しようとしないとき、それは貧困層に重くのしかかり、悲惨を生み出すのだ。
そして正直者はその重荷を背負ったまま、いわば世界の贖罪の為に苦しみ、生き、死んでいくのだ。
そう、つまり俺である。
現代の贖罪者、俺。
正直者に生まれついたが故に貧困に喘ぐ、俺。
俺が苦しむが故に世界は救われているのだ。
だとしたら、少しは世界が俺に感謝しても良い筈である。
つまり施しという形で。
いや、施しなどと言う言葉は相応しくない。喜捨、いやむしろ謝礼である。全人類が俺に10円ずつ払ったらいいと思う。
ほう、こうして新興宗教の狂った開祖が生まれるのか。
という事が分かった。