目撃した

いつものようにバイトを終え、後楽園まで帰って来た。深夜だった。そしていつものように後楽園のセブンに入り、夜食を買おうとした。そのセブンはレジが5つもある大きな店舗で、深夜でも客が多い。そのときも客が5人程並んでいた。
僕は何も考えずに列に並んだ。しかし何かがおかしい。違和感がある。僕の前に並んでいる中年男性が何か変だ。
中年男性はホームレスともそうでないとも判断しかねる服装をしていた。汚れきったズボンとスニーカー、何枚も重ね着した上着。そして両手いっぱいの紙袋。
そうは言っても、髪も顔も洗ってあるようだし、コンビニで買い物しようとしているのだからホームレスではないだろう。おかしいのは服装ではない。でもやはり何かが決定的におかしい。
そう、彼の頭の上に生茶がのっている。ペットボトルだ。半分くらい中身が残っている。キャップはついてない。彼は背筋をピンと伸ばしバランスをとっているが、とても自然な立ち居振る舞いだ。人が減れば列の前へと進んでいく。面白い事をしているつもりもないようだし、恥ずかしい様子も見せない。
周りの人は見て見ぬ振りをしているが、不審者に対する恐怖と軽蔑が入り混じった感情がはっきり伺える。しかし、僕は彼と彼のパフォーマンスが生み出すその空間が、完成された一種の芸術であるように感じ、むしろ幸福感でいっぱいになった。
ついに彼の会計の順番がやってきた。レジの店員は中国人の女の子だった。顔が引きつっている。
彼はとても紳士的だった。彼はまず両手いっぱいの荷物を落ち着いて床に置いた。そして背筋をまっすぐに保ったまま、頭の生茶に右手を伸ばし、カウンターに置いた。そして商品のお弁当を差し出し、普通に会計した。温めなくていいです、お箸はいりません、ハキハキした自然な口調で受け答えし、彼は商品を受けとる。紙袋の中にその商品を入れて、紙袋をいったん床に戻す。そして万を侍してカウンターに残った生茶を頭の上にのせた。あるべきものがあるべき場所に戻った。海の水が雲となり、雨が振り、多くの生命を育みながら流れ、やがてまた安らぎの海へと戻っていく。ただそれだけの事だ。生茶は頭にのっている。背筋をピンと伸ばしたまま絶妙なバランスで膝を折り曲げ、床の紙袋を両手に配分すると、彼は自然に、そしてほんの少し誇らしげにコンビニを出て行った。


彼とすれ違ったカップルは最初驚き、次にとても幸せそうに微笑みあった。僕も中国人の女の店員と自然と微笑みあった。そして我を忘れるような興奮を伴った幸せとは全く違った種類の、静かな幸せを、僕は感じていた。
同時に彼に対する尊敬の念でいっぱいになった。彼こそアーティストだ。彼は冬の東京に舞い降りる天使だったのかもしれない。
実話です。