優しさについて

「あの人って優しい人だよね」とか言われたら終わりだよね。男として。「男として」とか言うと良くないかもしれないが。でも言うけど。ちなみに既に付き合って長くて、う〜ん、そういえば優しいかな、って言われるならまあいい。
男達がある女について「あの人って優しいよね」って言った場合、かなり良い感じだ。逆に女達がある男についてそう言った場合、親しみはあるかもしれないが、良い感じではない。付き合いたいとは思ってない場合がかなり多い。それでいい。それが当然だ。
逆に優しい人と付き合いたい、車道側を歩いて欲しい、重い荷物を持って欲しい、とか言ってる女達よ、息絶えるがいい。嘘つくな。そんな事で男を選ぶなら、俺がいくらでも車道側を歩いてやる。重い荷物は無理だが。
などと思っていたら、たまたま村上春樹のエッセイにこんな事が書いてあった。
「優しいと言わせないのが優しさだ。僕くらいの歳になるとそれが分かる。」今手元にその本がないので不確かだが、大体そんな感じだった。そうだな、と思った。
意識させず優しいのがベストだという事だ。重い荷物を持ったり、喜々として遠くまで女を送っていく男達よ、即死しろ。ザキ、ザキー!!
要するに何が言いたいかというと、俺は優しいよ、って事だ。もちろんこれ以外ない。誤解されてばかりなのが遺憾極まりない。
少し前にこんな事があった。僕はその夜、平井アナと家でにゃんにゃんしていた。ところがふとした事で平井アナを怒らせてしまった。僕はそんな事で怒らないで欲しいと思ったが、平井アナを愛しているので、理由はどうあれ彼女を怒らせたのなら自分が悪いに違いない、とりあえず謝ろう、と思った。だがしかし、ここで素直に謝って、平井アナにいい子いい子でもしようものなら、僕はダメな方の優しい男に堕してしまうのではないかと、とっさに判断した。
僕は僕自身の情報処理能力の全てを駆使して、この場合に発するべき言葉を検索した。するとあろうことか、僕の膨大なボキャブラリーの中から、この場合に最も相応しくない言葉が、ヒットしてしまったのである。つまり「そんなにイライラしないでよ。生理なの?」である。ちなみにそうでないことは僕自身の情報処理能力で確認済みであったが、そこがまた面白いのではないかと思ってしまったのである。僕はどうしても僕自身のタナトスに抗しきれず、その言葉を発してしまった。
ね。優しいでしょ。