ダヴィンチコード読んだ。

普段はいわゆる世界の文豪の作品を読む事が多い。流行りの本を読む事に一抹の恥ずかしさを覚える。
典型的なハリウッド映画みたいだった。あざといまでのエンターテイメント精神を発揮する作者の策謀にはめられてたまるか、と僅かながらの抵抗を試みたが、結局引き込まれてしまった。
わざとらしい謎かけとか、先が知りたい所に限って場面が切り替わるとか、怪しい人物を敢えて曖昧に描いて犯人を推理させるみたいなのがムカつく。引き込まれてしまった自分が許せない。
暗号や犯人が分かった時にはちょっと得意気な俺。分からない時には自分が頭悪いんじゃないかってちょっと落ち込む俺。どうしようもない。ちっちぇよ、俺。
勿論まともに批評するような種類の本ではない。キリスト教徒の中にはこの本に書かれている事に対して、本当に怒ったり、しきりに感心したりしている人がいるとニュースで言っていた。教皇庁ダヴィンチコードを批判する声明を出したとか。特にキリストに父や妻や子がいるのかという事について。ビックリだよ。今更かよ。どんだけアホなんだと。キリスト教って一部の宗派を除いて地球が丸い事は認めてるんだよね?
多分いたぜ。お父さんは。妻や子も多分いたぜ。コンドームとか無かったし。多分ね。知らないけど。
それを分かった上で神秘を信じてるふりをお互いにするのが宗教じゃないのか。死んだパパがお星様になって見守っててくれるよって子供に言い聞かせて、子供も薄々気付いてるけど、否定しきれないみたいな。信じたいみたいな。
子供に対してサンタクロースを全否定しないみたいにキリスト教徒に対して現実を突きつけないのが礼儀かもな。彼らは何しろ可哀想な子羊だそうだからな。多分子羊じゃないけど。