昨日の日記の続き

『東大の〜』とか言われると気になって見てしまう。多くの場合、不愉快になるだけなのに。やっぱり愛校心かな。大体東大が非難されるから、ムカついてしまう。
爆笑問題の太田は東大の教養主義を批判してるっぽい立場だった。教養主義の定義や是非はともかく、まず彼が質問された事に論理的に、直接的に答えず、自分の芸能界での体験ばかりを語るから、ちょっとイライラさせられた。質問された事によって思い浮かんだ事をとりあえず喋って後からそれらしくまとめるみたいな。またさすがに喋りに説得力があるもんだから腹がたつ。たまに核心を突いたような事も言っちゃうから、またそれに腹がたったりして。
ただ、思うに質問された事に対して脱線せずに一直線に解答する事自体が既に東大生っぽいのかなとも思った。だって実際東大生以外って、ちょっと込み入った話だと大体きいた事に答えてくれないからね。さすがに「それ何?」「ああ、西瓜。」位なら良いけど。
昔、あるカップルがいて両方とも俺の友達で、女の方に「彼氏のどこが好きなの?」ってきいたら「ああいう人だから。」って言われた。
どこだよ!?ちゃんと答えてよ!!と半ギレだったが、今思えばそんな解答にもある程度含蓄はあるなと。
全然関係ないけど、女の事を女性って言わないといけないの?現代で、東京で、大人の男だと?男とか女とか言ったときにそれが性別の話であることは明らかだと思うんだよね。
とかいうとフェミニストは男とか女という言葉には生得の生物学的分類以外の差別意識が感じられるとか何とか言うんですかね。フェミニストって言葉もまずいんですかね。
銀座のカフェでOLが「男性ってみんなバカですよねー。」って言っててちょっとムカついたんだけど、でもちょっと共感したんだけど、それに対して男が「女ってみんな頭悪いよな。」とか言うと論争になりそうだな。まあ単に男とか女って言うと響きがきついからかな。

話を戻すと完璧に無駄を省いて作った解答はつまんないし、それほど有意義でなかったりするからね。TPOだけど。卒業してみると東大生っぽさも少し客観視できて、象牙の塔の住人に軽蔑の念を抱く瞬間もあるし。
東大の英語の授業でアメリカ人の教官が、その授業のレポートに限っては論理的に書かないと単位はやらん的な事を言ってた。もう何年前かな。
彼女曰わく「英語はロジックで、日本語はハーモニーだ」と。それが正しいかどうかはともかく、その言葉の雰囲気が気に入った。日本語は論理的過ぎると美しくなくて、面白くない。
でも一貫性がないとしょうもないな。だから何が言いたいの?みたいな。つまりこの文章だな。言いたい事てかねえよ!!とかいわゆる劣等生キャラで逆ギレしてみるかな。