ショーペンハウエル

やっとショーペンハウエルを読み終えた。彼の孤高の、独善的な、独りよがりの文章がたまらない。例えば、
『どうも、われわれのあらゆる思考のうちの半分は、意識なしにおこなわれている、という気がする。(中略)実際、われわれの思想のうちで最良のもの、もっとも含蓄の豊かな最深のものは、突然、インスピレーションのように、それもしばしば始めから重厚な格言のような形で、われわれの意識にのぼってくるものなのである。(中略)どうも意識的な思考は脳髄の表層でおこり、無意識的な思考はその脳髄の内部でおこなわれる、という生理学的仮説を、思いきって提唱してみたくなるほどである。』
思いきりすぎだと思う。


アプリオリに洞察し決定できる事柄がある。たとえば、いかなる変化にもその原因があるという必然性や、数学上の諸真理(中略)である。かような事柄をアポステリオリに、すなわち実験によって決定しようとする人は、当然侮りを受けるべきである(そして当然地獄の火の中に投げ込む者である)。
『この好例は、わが国の化学出身の唯物論者たちである。かれらのきわめて偏った学識では、薬剤師の資格は取れても、哲学者にはなれない。この人たちはすなわち、「物質は恒存す」という、彼ら以前に千回も明言されているアプリオリな真理を、経験的な手続きで新しく発見したと信じ込み、世間はそれをまたまったく知らずにいるとでもいうかのように傍若無人に宣伝し、ごていねいにもその経験証明を示している(故に当然地獄の火の中に投げ込む者である)。』

いいね。攻撃的だ。『物質は恒存す』がアプリオリな真理かどうかはこの際どうでもいい。ショーペンハウエルは証明できないものを『アプリオリ』で片付けて、それを指摘されると上記のように逆ギレする癖があるようだ。でもそれもどうでもいい。突っ込み所満載の極論の方が面白い。


『あらゆる精神活動のうちで最低のものは、算術的な精神活動である。(中略)いわゆる数学者はきわめてしばしば、深い思想家だと思われたがっている。その実、彼らの間には、思索の作品というよりは定規の作品であるあの記号の容易な組み合わせでできること以外には、省察を必要とするいかなる仕事にも堪えないほどの千載一遇のぼんくらもいるのである。』
いい。いいね。『千載一遇のぼんくら』っていい。ショーペンハウエルはよっぽど不遇だったんだろうな。涙ぐましい。
彼は哲学が学問の最高峰だと信じて疑わない。哲学者の中でも特に自分が大好きなようだ。そして自分以外の大半の哲学者が大嫌いなようだ。


フィヒテは詭弁家である。』
フィヒテは国語(ドイツ語)に暴力を加えた。』
フィヒテは図々しく国語をすり替え、そのすり替えは、今日にいたるまで、ほとんどすべてのえせ哲学者たちによって、詭弁妄説の常套手段としてしきりに用いられている。』
特にフィヒテは大嫌いらしい。


『(時間は人間の知性の一形式にすぎず、空間と同様、いかなるものもその中(知性の中)でのみ現れうる。従って脳髄がなくなれば、時間もそれにもとづくあらゆる存在者の存在法則もろとも、なくなる。)このような考察なしには、形而上学における本当の進歩はまったく不可能である。してみれば、かような考察を追放してしまって、そのかわりに同一性の体系とかその他あらゆる茶番をもちだし、ふたたび自然主義の妄説をまきちらそうとしているソフィストたちには、すこしも容赦の余地がないのである(つまり当然地獄の火の中に、、)。』

ソフィストも大嫌いらしい。というかこれもフィヒテ達の事なのか。


『おなじ物を長く見つめていると、眼が鈍くなって、もう何も見えなくなる。それと同じように、知性も同じ事柄を打ちつづき考えていると、それについてもう何も発見したり理解したりすることができなくなる。プラトンが『饗宴』の中で、ソクラテスは何か思いついたことを考えつめて一日中身じろぎもせず、彫像のように突っ立っていたと語っているが、こういう話を聞いたら、「まさか」と言うだけでなく、「まずいことをしたものだ」と付け加えなくてはならない。』
うーん、ついにはソクラテスにまで毒を吐く。


『日常人は身体的努力をいやがるが、それにもまして、精神的努力を嫌うものである。それゆえに、彼らはあれほど無知、無思慮、無分別なのである。(中略)大多数の人間は、その本性上、飲食と性交以外の何事にも真剣になれないという性質をもっている。彼らの知性は自分に対する利害得失に関わる意志につなぎとめられている。動物とたいして異ならない。』
まあね。
『これに反して、天才的知性は(この俺様は)、事物そのものを見とどける。しかし、それらが自分に対してもつ利害得失についての認識は、そのためにぼかされる(だから天才的な俺様が貧乏で不遇なのだ)。』
『(この天才的知性の持ち主は、つまり俺様は)真実の貴人、この世の貴族である。他の連中は、農奴であり、領地付属の奴隷である。』